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教育格差を是正したい僕がベンチャーベンチャービジネスビジネス言う理由

ここ数年、「教育」とか「ソーシャル」といった文脈で動いてきた僕ですが、今年からがっつり、ビジネスの世界に戻ります。

 

2年半ほど前、「お金持ちとそうでない家庭、都会と地方における教育格差を縮めたいんです!」といって大企業を辞め、教育系ベンチャー、地方のNPOと渡りました。そんな僕が「ベンチャー企業」とか「ビジネス」に関する記事をSNS上でシェアしまくっていたり、これからビジネスの領域に戻る理由を述べたいと思います。

 

その前に

 

まずこれから自論をペラペラと話す前に。僕はいろんなNPOの人や教育業界の人、学校の先生などと出会って思う事がありました。

それは「この人たちに任せれば、日本の教育の未来は暗くない」

日本の教育がどうとかこうとか言われる事もありますが、実際に僕が日本の教育に携わる人たちと出会い話す中で感じた事は彼らは強い情熱を持ち、優秀で具体的に行動しています。学校の先生とか本当に大変なのにすごいです。尊敬します。学生時代、反抗しまくってすいませんでした。正直、僕なんぞがドヤ顔で教育を変える!なんと言わずとも行動せずともベクトルはいい方向に向いていて、ベクトルの強さも強いと思います。なので、これからの僕の自論は既存の教育に携わる人をないがしろにする訳ではなく、そちらの領域は安心して任せられるので、僕はちがうところからアプローチしますという話です。

 

では、理由を述べます。

 

「教育」そのものよりも家庭環境を変えたい

言いたいことの参考情報はリンク先の記事の通りです。ログミーさんより古市さんに代弁してもらいます。

logmi.jp

端的にいうと、「親の意識」を変えたい。

僕の関心のあるのは、教育におけるボトムアップです。特に「勉強なんかしなくとも、なんとかなるや」という考えをなくしたいと考えています。(⬅︎肌感としてはなくなってきていますが)親の背中を見て子供は育つので、親ががんばらない、かつ、子供も頑張らなくてもいいとか考えている親の元だと、努力するきっかけを失います。じゃ親に対して子供を勉強させるようにアプローチさせればいいんじゃないかと思う方もいらっしゃると思うのですが、それ自体を活動にしてしまうと、どうしても意識が高かったり、ちゃんと危機意識を持つ親しか集まらなかったりするんです。僕がいた地方のNPOでは、1回数百円とか高くても千円ちょっととかのかなり安価で体験プログラムを小学生に休日をつかって提供しています。僕も実際にトランプゲームを教えたり、サポート役で受付とかよくやってたりしたんですけど、そんな安価なプログラムでも集まる親御さんの姿をみるとかなりちゃんとしているんです。そして「子供には色々な体験をさせたい」といった意思のある親御さんばかりです。なので、いくら良質な教育コンテンツを作っても最初に届くのはちゃんとした親のお子さんで僕が届けたい層には届かないなー。と思ったのです。

 

「子供に勉強させなさい」と半強制的にいえる立場になりたい

政治家になって「勉強が必要だ!」と叫んだって、学校の先生になって「子供に勉強させてください」と言ったって、それに必要性を感じていない親からすれば、「は?余計なお世話だよ」という話ですし、そんな事言うなら、塾代ください、どうやって勉強すればいいかもっと教えてくださいという話になるかと思います。もしくはそんな事言われても、塾代は稼げないし、どうしようみたいな。そして、親御さんにこんな事言える立場の人ってその親の「雇い主」しかいないなというのが僕の着眼点です。個人の力でバリバリ稼げる親であれば、その背中を子供が見ると思うので問題ないのですが、そこまで能動的に物事を考えずに雇われたい人、まずは生活のために勤めなければいけない人が僕のターゲットです。

 

そして、代替可能な付加価値の低い事業だと、そんな事いっても従業員やパートさんに払える給与も福利厚生も余裕が生まれてこないので、代替が難しい付加価値の高い事業を作り、そこで生まれた雇用と利益を通じて、「業務命令として、子供に勉強させなさい!塾代は出すから!」といった極めて日本的な経営をしたい、しなければいけないとうのが僕がビジネスに戻る理由です。

 

そして、新しいビジネスが生まれにくい地方でやる事によって、人材や情報の流れをよくしたいというのもあります。

 

よかったら、これも読んでみてください。

www.buzzfeed.com

 

純粋にビジネスを作るのが楽しい

いろんな経験をしたい、想像できない環境に身をおきたいと思い、何を間違えてか、ベンチャー畑に身を投じてしまった僕ですが、そこで気づいたのが事業を作るのはめちゃめちゃ面白いという事でした。教育系のベンチャーでは新規事業の立ち上げだけ携わらせてもらったというかやらせてもらったのですが、めちゃめちゃ面白い。事業自体はあまりうまくいかなかったのですが、それでも競合の動向を予測したりしながら、あの手この手を考えて、そこにユーザーの反応する姿があってと。毎日が本当に楽しかったです。それも少人数だったので考えなければいけない領域が広く、競合、ユーザーなどなどと学生時代は競争戦略の授業なんかはとっていたのですが、こういう事かと。これはNPO時も一緒でコワーキングスペースの運営とかをやっていたりしたので、値付けとか広告の出す場所で結果がちがい、自分が描いたコミュニケーションデザイン通りに客が入り、客のニーズがなくなると去っていくと。どちらの組織も途中合流だったりしたので、本当の川上からは設計できずに苦い思いをしたりもしたのですが、これは面白いなと。自分で絵を描いて、その通りにお客さんが動いて物を買ってくれて、リピーターになってくれる。ずっと、B to B畑だった事もあり、特にこのB to Cの結果が見えるのが面白い。今度は自分で0からやろう。というのが2つ目の理由です。

 

まとまったお金がほしい

ポジティブな話を続けるものの、ベンチャーは大なり小なり色々あるので、(留学した後に)次は大きめのところに入って2〜3年は腰をすえようかなと思っていたのですが、大きめの組織にいながら、なかなかの給料をもらってコツコツ奨学金とか◯◯とか◯◯の支払いをしたり(あ、全然やましいものじゃないですよ。僕、倹約家だし)与えられる仕事に不満漏らすよりも、しっかりと自分のアイデアで勝負して、Exitしてお金ほしいと思いました。むしろ年収1千うん百万円の生活とかいらないし、そんなの求めてたら会社残ってるし、想像できる世界だから興味ないし、みたいなところで金銭的な報酬に関してはあります。(留学を取りやめた理由はまた改めて)

 

ただ、僕はお金儲けがしたいというよりも自分のアイデアを通じて世界を少しでも変えたいと思う派ですし、お金儲けだけ狙うのよりも、ビジネスを通じて世界を変える方が難しいけど、それができたらめちゃかっこいいので、そんなんいけんの?できたらおもろいけどみたいなビジネスで勝負したいです。達成難易度を求める故に、成功確度や市場とかを鑑みなかったのがここ数年の反省なので、競争の戦略とか読み返しながら、自分でも勝てるビジネスでいこうと思います。

 

という事で、まとめると

 

・親の雇い主になって「教育」へアプローチしたい。

・新しくビジネスを作るのが楽しい

・金銭的報酬はまとまったお金がほしい

 

こんな理由でビジネスの世界に戻ります。具体的に何をするかを明かさないのは戦略的理由なので、そっとしておいてください。そして、事業ローンチのタイミングになったらSNSとかでシェアしてもらえるとありがたいです。SNSの力は偉大なので。

あと、手伝ってくれたりする仲間がこれから必要になってくるので、興味がある方は個別に連絡ください!直接面識ない方はどなたか共通の友人を通じてご連絡頂けると助かります。

 

という事で今年もよろしくお願いいたします。

地方のNPOを選んだ理由

たくさんの人から、「なぜ、群馬戻ってきたの?」「よく、そこ選んだね」と言われることが多かったので、なぜ僕が地方のNPOを選んだかの理由をつらつらと述べたいと思います。

 

NPOで働いてみたかった

元々、広告代理店を辞めた後は、地方のNPOに転職する予定でした。会社の人には「NPOいきます!」って言って退職の挨拶をして、最終出社日には「東京でデジタル×教育してみます!」と言って東京のベンチャーに転職したわけですが。(その話はまたおいおい)

 

広告代理店を辞めたあとは2〜3年、ソーシャルな世界で働いてみて、その後留学して、国連、官僚とかシンクタンクとかそっち方面に進もうと思っていました。だったら、新卒からそういう方面いけよという話ですが、経済的な事情から給与が若い時期からグッドなところに勤めなければいけないという事と、マスコミに興味があったという理由で広告代理店に入ったのですが、関心はずっとパブリック・ソーシャルセクターでした。(なので、行政寄りの商材を扱えたのはすごくよかったです)

 

実際に転職するきっかけとなったのも、NPOで人生かけていろいろな活動をする人たちに出会ったことです。

 

なぜ、元々パブリックやソーシャルに興味があったかは、なぜ焼肉が好きかを聞くようなものなので、いったん今日は考えずに言語化しないでおきます。

 

というわけで元々NPOで働くことに興味があったというのが理由です。

 

(本当はもっとていねいに事細かく書きたいんですけど、時間かかり過ぎてしまうので、いろいろはしょります)

 

1〜2年したら留学する予定だった

お気づきの方は「留学する予定だった」と過去形になっているところに着目されるかもしれませんが、それはまたおいおい。

 

大きい会社から小さい会社に転職後、いろんな方からリスク取るよねーとか、大丈夫なの?とか心配されていましたが、前に少し述べたように、転職後、2〜3年で留学する予定でした。嘘がつけない僕はあらかじめそれを伝えた上で東京のベンチャーに入れてもらい、群馬のNPOに関しても同じでした。転職活動された事がある方ならわかるとは思いますが、これから入る会社に「2〜3年したら辞めます!」と言って「OK!」と言ってくれるところって少ないですよね。新卒時も正直ものな僕は、入社後3〜5年したら会社休むか辞めて進学したいと言って就活してました。結果、事細かくキャリアプランを聞かれなかった会社と意志を尊重してくれる会社から内定もらいました。

 

というのと、どうせ留学してキャリアやり直せるし、個人の経験・成長にフォーカスしようという甘い?考えもありました。

 

財務も盤石でないので、1〜2年で辞めてOK、むしろそうしてもらった方が安心みたいのがもう一つの理由です。

 

群馬で何ができるか知りたかった

ざっくり地域活性化的なことをやっているNPOだったので、僕が「まちづくり」とか「地域をよくしたい」とか考えていると勘違いされている方が多くいらっしゃいましたが、抽象的なことが嫌いな僕はそういうふんわりしたものには興味があまりありません。いや、大事だとは思うのですが、僕がやらなければいけないことからすると優先度が低いんです。

 

で、何を知りたかったかというと、

 

①イケてる企業はどこか

②何のインダストリーで地元は勝負できるか

③留学→コンサルとかファンドで修行後、僕は誰と話せばいいか

 

この3つです。情報を収集するだけであれば、わざわざ地方のNPOで働かずともできますが、実際に行動を起こす時に誰と話すと物事が進むのか、僕との相性がいいかなどは何回か話したり、お仕事しないとわかりません。

 

これはNPOで働きだした直後にアメリカのビジネススクールに訪問して頂いたアイデアなのですが、留学後はどこかに勤めながらサーチファンドの準備をしようとしていました。

jp.wsj.com

 

MBA留学を検討していたので、留学先の学校訪問で、

 

「地元にビックカンパニーを作りたい」

「今ある企業をビックカンパニーにしたい」

「海外からビックカンパニーを誘致したい」

 

そうするためにはどうすればいいでしょう!?と聞いた結果、「君はサーチファンドとかするといいんじゃない?地元企業の特徴も知っているわけだし」ということで、留学後にこれをする前提で、NPOでのいろんな活動をしていたわけであります。

 

留学候補先でサーチファンドを教える教授と電話でやりとりしながら、具体的なアクションとか注意点も教わったりしてました。

 

 

 

他にも理由はあるのですが、予定執筆時間を過ぎたので今日はここまで。

 

 

 

 

支社勤務を希望した理由

最近、僕に無関心な親にさえも「あんたは何を考えているかわからない」と言われるようになってきたので、自分の意思決定の理由やプロセスをブログにのせられる範囲でのせていきたいと思います。

 

今日は新卒時の話。

僕は新卒で広告代理店に入りました。

 

それはそれは大きい会社で、東京本社、関西支社、中部支社、その他もろもろとあります。中部支社はいわゆる名古屋支社です。

 

新卒で入社後、1〜2ヶ月くらいの研修を経て、その研修期間中に適性をみられ、そして各個人の希望との兼ね合いをみて?各部署に配属されます。

 

8割強ほどが東京本社、1割が関西支社、もっと少ない割合で中部支社に新入社員は配属されます。(今は知りません)

 

出身が関西や名古屋でない限り、ほとんどの人が東京本社への配属を希望します。大きい案件は本社案件であることがほとんどというか全部?くらいですし、東京ライフをエンジョイできるしと、まぁふつーは東京本社希望を出しますよね。ほとんどの人はそこで働いているわけですし。

 

ぼくは東京生まれで、小学校〜高校が群馬県で、東京生まれの自負があり、小さい頃からなんで自分が群馬に引っ越さないといけないんだと思っていました。家の周りとか登下校の道は動物の堆肥の匂いがすごいし。そして、勉強は好きだったのと幼稚園の同級生がどこどこの進学校に行ったみたいのを聞いていたので、少年野球やって変に野球を頑張っていなければ、中学から都内の進学校にいきたいとか思っていました。結局、高校までは群馬県で過ごし、大学はもちろん都内の大学にと思ったのですが、幸か不幸か関西の大学に進学しました。

 

大学時代の話は置いておいて、そんな経緯があったので、絶対に社会人からは東京で働く!と思って、東京勤務の会社しか就活しなかったのですが、いざ東京で働く、厳密にいうと研修を東京で過ごしてみると、

 

・電車通勤がつらい(今までは自転車か原チャ)

・実家での生活は息苦しい(家族が東京に戻ってきていた)

 

というのが生活的要因としてあり、

 

・いい会社に入れて、満足している自分がいる(なんだかんだ、待望の東京生活を手に入れたので)

 

というのもありました。

 

そりゃ調子にのりますよ。片田舎から住む世界を変えたい、貧乏いやだ!と思って、ガリガリ勉強して、いい大学入って、学生生活を充実させていい会社入るために、楕円を放り投げたり、肩抜けたりして手にした世界ですもん。

 

上記のような理由に加えて、広告のここの領域は任せておけ!的なキャリアよりも全般的になんでもわかるようになりたいという思いが強かったので、本社で段階的に仕事の裁量が広がるよりも、支社で早い時期から大きな裁量を持って働きたいと思っていました。大きい企業にいる方ならわかると思いますが、どうしても大きい組織だと歯車的な働き方になってしまうので。

 

当時、というか今もだと思うんですけど、中部支社出身の有名プランナーの方が中部支社の良さを研修の座学で話してくれたり、OJT研修先の上長が中部支社出身で、若い頃からいろんな経験を積めたという話を聞き、これは中部支社だ!と思っていました。

 

なぜ、関西支社ではなかったのかって?それは、大学時代に関西一通り見れたのと、名古屋は住んだことがなかったから。あとは大学時代があまりにも辛かったので、関西での日々を思い出したくなかった(部活動です)。といったのが理由です。

 

そんなこんなで、中部支社を第一志望にして、見事、名古屋に配属されました。

 

何より、3〜5年したら本社に戻れると思っていたという理由もありますが。

 

3〜5年で本社に戻れるという勝手な勘違いが発覚したのが、名古屋に配属されて、同期と一部の先輩との名古屋歓迎会の席で、ベラベラと理想のキャリアとかやってみたい仕事を自己紹介がてら、

 

「早めから裁量をもっていろんな仕事がしたいと思い、中部支社に希望を出しました!3〜5年、中部で経験した後に本社に戻った方が本社にずっといるよりも成長できると思うし」と先輩に話すと、、(ry

 

結論から話すと、もう少し長く名古屋で頑張らないと本社には戻れないとのことでした(^^)

 

今はだいぶ状況は変わって、早くに本社に戻れるようですが、そんなわけで名古屋に配属して頂きまして、

 

思い通り?かなーり裁量を持たせてもらい、いろいろ学ぶことができました。

 

メディアの部署で、主に電車の中吊りとか駅のポスターなどの交通広告を担当していたのですが、目と鼻の先に他メディアの部署、階段を一つとか二つ登り降りするだけで、クリエーティブやプランニング、営業さんの部署があったので、時間を見つけてはどんな仕事をしているかなどを聞いたり、教わったりしていました。

 

本社だと総務の部署に丸投げするような作業も自分でやったりしていたので、会計とか、その他もろもろの作業も覚えたと思います。営業も一回チャレンジできたかな(苦)あとは2年目くらいから9割以上の作業を協力会社さんに協力してもらいなが、一気通貫して自分一人でやっていたり、一人で全国の屋外、交通からルートメディアやバルーン広告とかいろんなのを扱えるようにはなりました。

 

おかげで転職後は、出版社で記事広告の商品作ったりと、名古屋での知見?経験?が活かされました。

 

結果、

電車通勤がつらい(今までは自転車か原チャ)

名古屋は東京ほど満員電車ではないし、電車使わなくても通えた。

 

実家での生活は息苦しい(家族が東京に戻ってきていた)

名古屋で一人暮らし

 

いい会社に入れて、満足している自分がいる(なんかだんだ、待望の東京生活を手に入れたので)

会社の同期以外、友達いないので、土日は自己研鑽するしかない

 

大きい組織だと歯車的な働き方

裁量大きく、いろいろ一人で任せてもらえた。

 

ということで、思惑通り、充実した支社生活を過ごせたのであります。

 

 

執筆予定時間を過ぎたので、今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

2016年 一番の収穫

仕事が好きになりました。

 

仕事の内容が好きになったというよりも、これがきっかけです。

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所属していたNPOに助成頂いたトヨタ財団のプログラム、トヨタNPOカレッジ「カイケツ」に参加しました。

 

ざっくりいうと、トヨタの問題解決を学ぶというものです。

 

元々、問題解決本などはかなり読んでいた方で、思考力とか仮説検証力?論理的思考力などは意識していた方だとは思いますが、6回にわたり名古屋まで通わせてもらったこのプログラムによって、更にというか、かなり頭の中アプデされました。

 

トヨタ自動車に勤める友達がフィッシュボーン?的なのを書いて、要因解析をしたりしているのを見たことはあって興味はあったのですが、具体的な方法が簡潔に書かれた本が見つからずだったので、トヨタ式問題解決を実際に習う良いきっかけをもらうことができました。

 

なぜ、仕事が好きになったかというと、全ての事業、作業、その他細々としたことにはカイゼンの余地があり、そのカイゼンの余地が何なのか、仮説をたて、検証し、検証してはチェックし、一番のカイゼン箇所を見つけるという思考プロセスを手に入れたからです。

 

なんで今◯◯は△△なんだろうと疑問をたて、なぜを5回繰り返し、要因を出して、試してみる。その結果を検証する。

 

明日は何を試そう、結果検証の後、次にはどんな「カイゼンの余地=課題」が出てくるんだろう。それに対してどんなアプローチができるんだろう。これが日常に加わったので、単純作業においても、なぜ今これだけの時間がかかるのだろう。手を動かす動線が悪いのか、時間帯が悪いのかというのを自己分析しながら行う。自己分析の結果、課題が見つかれば、そこに対して考えうるアプローチを出し尽くし、優先順位を決め、、、というサイクルが生まれたのが仕事・作業を好きになったきっかけです。

 

と考えていたら、本当にそうなのか?という疑問が湧き始めたのですが、もしかしたら、ちがう要因があるかもしれません。

 

今日はここまで。